おわび

やりたいことなんでも

“続かない”を続けてみないか?

はいこんにちは。

 

突然ですが、何かを継続することが得意な人はこの世にどれだけいるのしょうか。

わたしは苦手です。めちゃくちゃ、苦手です。というか、できません。何かひとつこれをやるぞ!ということを長く続けることができない。絵に描いたような三日坊主なのです。

 

興味のあること、やってみたいことができては消え、たまに実際にやってみることも多いのですが、おお〜楽しかった!で終わってしまいます。

やってみたいことはたくさんあって、それはもう時間が全然足りないほどにあるのですが、そのひとつひとつが長く続く何かにならないことに、ものすごくコンプレックスのようなものを感じていました。

 

それもあって、わたしは”継続”というものをとてもとても尊敬しています。

努力を「努力と意識して行うこと」はしたくないというのが個人的ポリシーなのですが、努力というものは確実に存在していて、それは継続することと同義であると思っています。

 

昨今はSNSでいろいろな人を見ることができるようになりました。見ることができるようになってしまいました。

人気クリエイターやYoutuber、彼らがどれだけ作品作りや動画作りを続けてきたのかが、ポスト数や投稿動画数で一目で見えてしまいます。しかも、それは数字という明確なものでも見えてしまいます。

もちろん、彼らの頑張りは目に見えるものだけではないでしょうが、人がどれだけの段数の階段を登ってきたかがわかるようなものです。

 

それと比べて、自分は?なにをしてきたんだろう。なにか生み出せてきたのか。

これはやってみたいし続けてみたいと思って、SNSの専用アカウントを作って、しばらくしたら見なくなって、やらなくなって、やろうと思ったのにまたできなかった…というヘンな後ろめたさで、結局なにもできずにアカウントを消したことは数えきれないほどあります。

 

いやいや、彼らと違って、仕事ではなくてあくまで趣味なのだから、どれかひとつをずっと続けなければいけないなんてことはないと、わかってはいたのですが納得はできていなくて、それができない自分はとんでもなくしょうもなくて、何者でもない存在なのです。

 

と、思っていました。

しょうもない存在であることに変わりはないのですが、それでもいろいろやって考えて続かなくて、を繰り返していたら、いろいろなことに興味をもって、「やりたい!やってみよう!どうすればできるんだ!?」って行動ができているのは、それはいいことなんじゃないか?と思うようになってきました。

 

そしてさらに、それってグラフィックとかタイポグラフィとか陶芸とか、そういう一つの手法や分野の単位ではないけれど、なにかを作り出すとか、表現するとか、表現技法の追求…みたいな、もう少し広い範囲においては割と絶えず”やってみている”んじゃないか?と思うようになってきました。

 

「なにをやっても続かない」をもうずっと続けてきたのです。たぶん。

 

追求するモノやコトの一貫性とかそういう、自分から見た他人のカッコよく見える在り方みたいなものに気を取られていたけれど、そんなものはなくてもいいんじゃないか?って、ようやく納得ができそうなのです。

 

SNSのアカウントってよく『〇〇アカウント』みたいに、ジャンルで分けるじゃないですか。それが当たり前になりすぎてしまって、あれもこれもやったらブレブレだな…と思っていたけれど、”わたしがやってみるものづくりや表現”っていう一点だけで十分だよなって。

何者かになろうとしていたのかもしれないです。けれど、本当は自分が楽しく幸せに生きるためには、何者かであるかどうかなんて、たぶんそんなに大事なことじゃなかったのです。

だから今はこのまま、その時々に自分が興味を持っていることをなんでもやってみようとちゃんと思えています。このブログもそのひとつです。

 

何を始めても続かなくて、そんな自分が好きじゃなくて、いろんなアカウントを作ってやってみて続かなくて消して…を繰り返していました。でもこれからは、なにに挑戦しても、続かなくても、絶えずそんなことをしている自分であることだけは継続させていきたいです。

 

何ヶ月間が空いても、また気が向いた時にやったり行ったりでいいじゃない。

そうです、絵に描いたような三日坊主なのです。上等じゃないですか。なにかをやってみている証拠じゃないですか。せっかくならそう、プロの三日坊主になるぐらいの心意気でどんどん手を出したいものです。

 

お相手はおわびでした、また今度。