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読書感想『[新訳]禅マインド ビギナーズ・マインド』

はいこんにちは。

 

少し前に、東洋特有とされるような思想とか、哲学とか、考え方に興味を持ったタイミングがあった。そのいちばん最初のきっかけはあまり覚えていないのだけれど。

それで、まず読んだのは『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』という本。実はそのもっと前に西洋編も読んでいたのだけれど、それと比べて東洋編が想像以上に、メチャクチャ面白かったのである。

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東洋思想・哲学に対する興味に関しては機会があれば書くとして、その流れで手に取ったのがこの本だった。わたしにとってはなかなかボリュームのある本で、そうあるべきだよなあと身に沁みること、なんか言っていることはわかるということ、ちょっと難しいと感じたことが全部あって、なかなかきれいにまとめられないというのが正直な感想である。

 

けれど、本を読むとき、現在の自分に響いたことばや”おしえをことばにしたもの”をちょっと反復してみるだけで、現在の自分に受け取れるものとしては十分だとも思うのだ。

わたしはたくさん本を読む方ではないけど、本を読む時は一通り読んだ後に、あそこよかったなとか、あのフレーズはすごく覚えているな、というようなお土産みたいなものを一文でも見つけられたらいいなと思いながら読んでいる。

 

作者が綴ってくれた長い文章の全てを一言一句覚えていられるわけはないのだけれど、色々な内容を読んでいく中で、最後まで大切に握っていたままだった部分はどこだったのかなあというのを最後に見つめるのが、とても楽しいのだ。

ある程度の文章としてどこかに本の感想を書くのは初めてだけど、そんな感じで書いてみることにする。

 

ということで、今回の課題図書はこちら。

[新訳]禅マインド ビギナーズ・マインド

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この本からもらった言葉は2つあって、まずひとつめはこちら。

生きている限り、私たちは常に何かをしています。しかし、皆さんが「私はこれをやっている」「私はこれをやらなければならない」「私は何か特別なことを成し遂げなければならない」と思っているうちは、実は何もしていないのです。

『[新訳]禅マインド ビギナーズ・マインド』 93ページ

 

これは修行について書かれた文脈で書かれていた言葉なのだけれど、なんだか、わかるようで、わからないと思うところもある言葉だった。

仏教とか禅というものに対してものすごく解像度が低い状態だから、適さないことを書いてしまうかもしれないけれど、仏教や東洋的な思想においては、実際にやってみる中で気がついたことを重んじている印象がある。だから、たぶんこうやって、言葉で頭で「うーんうーん」と考えているのは、「そうするべきではない」と言われてしまいそうなものだけれど。

わざわざ言葉という形で表現するまでもなく、意識すらしないレベルでごく自然に行っていることが”(修行を)やっている”こと、なんだろうなというのは、うまく言えないけど、伝わってくるものがある。

 

けど、それってやっぱりよくわからない。だって、自分は体づくりのために毎日走ってます!という人は、”実は何もしていない”ことになるの?って思ってしまう。そこに目的や期待みたいなものが入ってきた途端に、修行ではなくなってしまうのかな。

自分が何かをしていることを、旗みたいに掲げていたりとか。あとは、たとえば「〇〇のために何かをやっていますか?」と聞かれたとして、スムーズにでてくるような答えも『実は何もしていない』カテゴリーに近いのかもしれない。なにかしらの行動ではあるけれど、それは修行ではない、みたいな。

“何かしらの行動すべて”と”修行”を隔てる何かがたぶんあって、それは実際にその場に立ち続けてみないとわからないものだし、どんぴしゃで言い表せる言葉は存在しないような気がする。

 

もうひとつはこちら。

道元禅師によれば、料理をすること、つまり食べるものを用意するということは、準備ではなく修行そのものなのです。料理というのは、誰かのため、あるいは自分のために単に食事の準備をすることだけではなく、自分の誠意を表現することでもあるのです。ですから、皆さんが料理をするときには、台所における自分の活動の中で自分自身を表現しなければなりません。時間をたっぷりとって、心に余計なものを持たず、何も期待せず、ひたすらそれに取り組むのです。ただ料理だけをするべきなのです。

『[新訳]禅マインド ビギナーズ・マインド』 102ページ

 

 

心に余計なものを持たず、何も期待せず、ひたすらそれに取り組む。

これは、ひとつめの言葉でよくわからないと思っていたことを、たぶん少しだけ説明してくれている。そしてまさに、自分がこうならなくてはと思っているポイントのひとつを突かれている気分になった。そうなのだ、余計なことを考えすぎてしまうし、いろいろなものに期待をしてしまっているんだと思う。

 

どうすれば何かに期待せずにいられるようになるのだろうっていうことは、もう少し考えてみたいから今は置いておくとする。

もうちょっと別の言い方をしてみると、先のことを考えすぎてしまうってことなのかもしれない。「失敗したくない」とか、「後で困りたくない」みたいな。行きすぎた危機回避行動なのかな。今を生きるとか、心配事の9割は起こらないみたいに言うけれど、自分の中で思考実験的に”危機”を作り出してしまっている気がする。

『時間をたっぷりとって、心に余計なものを持たず、何も期待せず、ひたすらそれに取り組む』、これが、核とまでは言い切れないけれど、すごく大事なポイントなのだと思う。

 

たしかに、夕飯を作っている時に次の料理時間をイメージしていることなんてない。持ち越した食材について考えることぐらいはあるかもしれないけれど。それに、おいしいと言ってほしいとか、感謝してほしいとか思ってしまうとだいたい苦しいことになる。それはたぶん余計なものなんだと思う。

 

と、とにかく感じたことを書こうとしてみたのだけれど、うーん、やっぱり言葉でこの本の感想を表現するのは難しい。この本で感じたなにかを表現しようとしたら、いちばんいいのは、まずは坐ってみることなんだろうな。

 

一冊目が偶然すごく難しい本になってしまったような気がします。

お相手はおわびでした、また今度。