おわび

やりたいことなんでも

とくせい「ムラっけ」

はいこんにちは。

本当に突然なのだけれど、わたしをポケモンにしたら特性は「ムラっけ」だろう。

 

まいターン のうりょくの どれかが ぐーんと あがって どれかが さがる。

ポケモンWiki

 

会社員としてどうなの、それは。と思うのだけれど、”いつも” ”毎日” ”やるべき仕事をコツコツと”、ができない。代わりと言っては何だけど、わたしの場合は、”びっくりするほど頑張れる時がある”そして”びっくりするほど何も手につかない時もある”。一定のリズムで頑張ることができないのだ。

 

とは言っても、業務が立て込んでいたらやるでしょう?と思うかもしれない。それはもちろんやる、やるのだが、そのあとのクールタイムは確定で待ち構えているし、なんなら無理をすればするほどクールタイム期間は長くなる。気がする。測ったことはないから、体感のはなしだけれど。

なにより、”びっくりするほど頑張れる時”の制限時間を超えて頑張ると、露骨に体調を崩す。ということを、つい先日、しばらく業務に追われ続けた結果胃を痛めたことで思い出したところだ。

 

だからどうと言うわけではない、正直にいうと、だから自分はダメなんだと言うつもりもない。いや、明らかに模範的な会社員ではないけれど。それはわたしの特性であって、実はわたしはわりと好きだし、たぶん同じようなタイプの人は少なくないんじゃないか。でも、だけれども、頑張れない時の自分に対する絶望感や罪悪感たるや。もう、すごいのだ。

 

みんなは日々「たいあたり(威力40)」をコンスタントに繰り出し続けているのだ。たまに日々「とっしん(威力90)(こちらもダメージを受ける)」を繰り出し続けている人もいるし。実際のところはわからないけれど、他人を見るとそういうふうに見える。

 

一方でわたしは「はかいこうせん(威力150)(1ターン休み)」タイプだ。ちなみに今は絶賛仕事を頑張れないターンなので、続く言葉はさらに弱気である。威力150もないんじゃないかしら。休みが1ターンで済んでいるかしら。みたいな具合に。

 

それでも一応働けているのは、ひとえに周りの人々の察しと理解のおかげ。パワーの出力が一定でないことは、わたしも(物理的に)叫んでいるし、”頑張れる時の頑張り”で評価してもらえているので、ありがたい限り。

一方でその分、頑張れない期間中の自分に対する…もうええか。

 

別のポケモンの特性で、「なまけ」というのがあって、それは行動自体が2ターンに1回になるというやつ。けれどやっぱりわたしは「ムラっけ」が近いと思う。

 

例えば、仕事で頑張ったら手につかなくなるのは仕事だ。他にやりたいことはいくらでもあるから、別のフィールドで走ることはできるのだ。たぶん、仕事をある一定頑張ったら仕事へのパワーが下がって、他のところのパワーが上がるのだ。まさにムラっけ。自分のエネルギーのバランスがどうあっても、拘束時間の比率は変わらないのが辛いところだけれど。

 

繰り返しになるが、これも自分の個性と受け止めているのだ。今のところ責められたことは一度もないし、みんな多かれ少なかれ、頑張れば疲れちゃうでしょう。それがちょっと顕著に出るタイプというだけ。だよね?

 

だから、ここからわたしにできること、考えられること、逆にそれを生かした道があるとしたら、その頑張れる時に、いかに「誰かの役に立てるか」を磨くことなのかな。

効率よく儲けるだとか、この商売は儲かるだとか、儲かるノウハウだとか、そういう見出しがわたしはやっぱりどうしても好きではなくて、いつも「絶対に見てやるもんか!」と思っているのだ。けれど、それってある意味では、そういう見出しばかりに意識がいってしまっているということだ。そんな中で忘れそうになるけれど、仕事っていうのは誰かの役に立つことをすることなんだ。

 

仕事っていうのはね、知らない誰かの役に立つことよ。お腹が空いた人にご飯を届けた。人が住む家をきれいにした。それは世の中にとって、確かに意味のあることだった。でもね、紘汰がインベスゲームで勝ったって、それで喜ぶのは紘汰とその友達だけよ。それは仕事とは言わない。ただの遊び。

仮面ライダー鎧武』より

 

わたしは副業をしていないし、今のところするつもりもないから、仕事といえば会社勤めの一点だけ。だから、少なくともその仕事の範囲でだけは誰かの役に立つってことができたらいいし、逆にその他のことは全部趣味なのだ。誰のためでなくてもいいのだ。その先の何かなんて存在すらしない。

けれど仕事にしても趣味にしても、身の丈を超えることをしようとするとこうやってストッパーがかかるのは、「オーバーヒート」を未然に防いでくれているのかもしれない。

 

このブログでやっているように、わたしは、言葉にすることで自分のことをわかりたいと思っている。でも、脳みそとか、内臓とか、筋肉とか、そういう言葉を持たない”わたしの身体”は、言葉を持つ”わたしの心や感情”以上にわたしのことを理解しているのかもしれないと思って、不思議な気持ちになるのだ。

 

と言った具合に、頑張れない時の心境をポツポツと書いてみたら、「だから、結局、ナニ?」という文章になってしまったけれど、誰のためでもないのだからこれでいいのだ。たぶん。

 

試しに『だ・である調』で書いてみたけれど、どうでしょう。敬語にすると文が長く長くなってしまうから、簡潔でいいかも。感情整理系はこっちの文体で書こうかな?

お相手はおわびでした、また今度。