おわび

やりたいことなんでも

IとNは揺るがない。

はいこんにちは。

みんな大好き16personalitiesのお時間です。

 

以前から思っていたことがありました。それは「時間をおいて性格診断をしたら変わるのか?」という、素朴な疑問。

それなら試してみましょうや、ということで、23年8月、23年10月、24年4月にそれぞれ下記サイトで行った無料診断テストの結果と、それから汲み取れるかもしれない何かについてのお話です。

www.16personalities.com

しかし4月(このあいだ)までしばらく忘れていたことがまるわかりですね。

 

最初に言っておきますが、わたしはこの診断をガチガチに信じているわけでもなく、診断結果のアルファベット4文字を自分のラベルとして使う気もさらさらありません。そうではなくて、そこから見えるものはあるか?ということを考えるお遊びです。

そして、16personalitiesと有名なMBTIはややこしいですが別物なので気をつけましょう。

 

まずは全3回の結果がこちらです。

  • INFP(仲介者)/ 2023年8月
  • INFJ(提唱者)/ 2023年10月
  • INTP(論理学者)/ 2024年4月

 

全部違うやないかい。

な〜んだやっぱりこんな診断で人となりがわかるわけないよなあ?と終わらせることもできるのですが、10月のわたしはいい仕事をしており、その内訳のパーセントもスクショにおさめていました。8月の結果に関しては残っていなかったため、10月と4月の内訳のみですが、下記のような結果でした。

 

  • INFJ-A: 内向型(I) 76%、直感型(N) 81%、感情型(F) 54%、計画型(J) 53%、自己主張型(A) 51%
  • INTP-T: 内向型(I) 85%、直感型(N) 79%、思考型(T) 56%、探索型(P) 58%、激動型(T) 56%

 

パーセントで見ると露骨に分かることがあります。明らかにIとNだけ揺るがなさすぎ、ということ。そして逆に、他の2つ(語尾のAorTも含めたら3つ)は全て50%台を漂っています。つまりどっちでもねえ。この診断において、この2-3つの観点から見たわたしの性質には特に特徴がない、という解釈をしました。

特徴はないし、その時々によって変えることもあるし、気分やコンディションで変わることもあるのでしょう。なので、現状の試験回数は3回ですが、今後診断をしたとしてもINFP、INFJ、INTP、そしてINTJのどれかになるだろうなという予想ができます。

 

わたしという人間を考えてみるとき、これらのうち一体どれが真に自分が該当するグループなのかとか、感情型か思考型かとか、計画型か探索型かとかは正直どうでもよいのです。それよりも、どうあがいても内向型&直感型であること、ここについて考えて理解することを通して、自分を知ることの方がタメになるのではないか。

 

と、いうようなことを友人と3人で話していました。ここからは友人たちとのだべり記録です。

わたしと、友人2人のうち1人は何回やってもISFJ(擁護者)になる生粋の擁護者。もう1人はINFP(仲介者)になったりINFJ(提唱者)になったりする子です。

 

じゃあわたしとその子は似た性質なのか?と言えば、擁護者いわく、「似てるっちゃ似ているところもあるけれど、根っこにあるものが違う気がする」とのこと。うわー、めっちゃおもろーと思いました。

次はじゃあその根っこの違いの正体は何なんだろうと話していたのですが、「そういえばお前めっちゃ人を覚えるよな」と言われました。例えば会社にいるとして、2人とも自分と関わりがあって初めてその社員のことを認識するらしいです。一度自己紹介されてその場では認識しても、仕事で関わりがなかったら同じ会社にいようと忘れてしまうと。

 

たしかに言われてみれば、結構人を覚えるのは得意かもしれません。意識したことすらなかったし、別に覚えようとして覚えているわけでもないのですが、何回か見かけたら顔はぼんやり覚えるし、人事発令などで見た人の名前の字面も結構覚えちゃいます。

職場でも「あー、名前の字面だけは知ってます」とよく言うのですが、自分が会話をしたことがなくても、どこかのタイミングで顔と名前が一致したら、もうほぼ忘れることはないです。

 

いやいや、そのぐらいみんなできるよ!お前の周りに偶然人を覚えるのが苦手なやつが集まってるだけだよ!という可能性も大いにありますが、でも少なくともみんながみんなそうじゃないんだあ…という発見。

 

擁護者の子は、あからさまに自分とは違うんです。考え方とか、なにを行動に起こすかとか。でももう1人の子とは、同じ部分もあるし違う部分もある、けどそれを言葉で説明できないような状態でした。

かろうじてその場で発掘できた、わたしとその子の違いみたいなものがひとつありました。その子は自分でも自覚がないぐらい、人に興味がないらしく、家族に言われて初めて、「そう言われると…たしかに人に興味ないんかな…?」的な感じらしいのです。

 

一方で、わたしは人の内なるもの…思想や信念みたいなものにとても興味があります。

わたしにとって、外見や社会的な立場、どんなことを成した人なのかは二の次、三の次。わたしは人がそれぞれどんな考え方をして、それがどんなポリシーになって、その結果どういった行動になって外に出てくるのか、ということが知りたい。知りまくりたい。それは、その人の内側にしかないものである以上、わたしにとっては「その人の己」ではなくて、「わたしにとっての他」になってしまう。それでも構わないのです。

 

たぶん、わたしのいちばんの興味の対象は自分なのだと思います。自分を知るための材料を得るために人を知りたい。だから、人が教えてくれた「その人の己」が実はちょっと正確ではないものであったり、カッコつけてしまったものでも構わないのです。自分ってどんなヤツ?という問いに対して、輪郭みたいな、形めいたものを見たいのであれば、他人と違うところを見ていくしかない。そのためのヒントがほしい。

 

おわかりでしょうか、この考え方や興味の対象にあらわれまくっている内向性ド優勢具合

 

ユングは内向性を「主観的な心的内容を通じて人生に向き合う姿勢タイプ」と定義し、外向性を「外的な対象に興味を集中させる姿勢タイプ」と定義した。

外向性と内向性 - Wikipedia

 

内向性の定義を調べたとき、あまりにも内向性をネガティブなものとして捉えた記事が目についてゲンナリしてしまいましたが、元の定義は『生きる姿勢』の種類の話。そういった記事は外向的な人が書いているのでしょうか。知らんけど。

わたしは自分の内向性に誇りを持っていますし、どれだけバカにされようと、見下されようと、自分にはできない行動ができる外向性を持つ人々のことをリスペクトしていきたいです。

 

とにかく、わたしの場合はI(内向性)とN(直感、理想主義的)に象徴されましたが、自分の性質や特徴をよく知ることは大切です。自分とは対極な性質の人が得意とするようなことを求められた時、難しいと思ったりストレスを感じるのは当然だし、それをそうでない人にわかってもらうのは難しい。

逆にわたしが意識すらしていないぐらい普通にしていることでも、みんながみんなできるわけじゃないことなのかもしれない。

 

と、まあいろいろと考えたりするのですが、こうやって思考をめぐらせることは、わたしにとって”最高に楽しいお遊び”なのです。もしかしたらこれも、”みんながみんなそうではないこと”かもしれないのです。

 

最後は、仮面ライダークウガより、わたしが最高に大好きな名言で締めさせていただきましょう。

『人の気持ちになるなんて誰にもできませんよ。思いやることなら、なんとかできますけどね。』

 

お相手はおわびでした、また今度。