おわび

やりたいことなんでも

今度こそ、家計簿を

はいこんにちは。

唐突だが幾度となく家計簿に挫折した人間の叫びを書きたいと思う。

 

今度こそ家計簿を、つけたい。と、思って続いた試しがない。

日常的に記入する時間をとろうと思うと億劫だったり普通に忘れていたり、かといってまとまったタイミングでまとめようと思うと、それをすっかり忘れて1ヶ月ぐらい普通に経っているのである。悲しい。アプリで記入していたときは、多少の期間続いたことがある。が、キャッシュレスが進むにつれて、カード連携と口座連携が重複するのでは…?とかを考えるのが面倒になった。

 

手書きでもアプリでも、どこかのタイミングで一定期間記入するのを忘れていたりサボってしまったりしたが最後、そんな”自分ができなかった”ことの証である家計簿なんてまあ、見たくないのである。そうして続かない、が、少しするとまた家計簿をつけて収支を把握しておきたいなあ、とか、本当にそろそろお金と向き合わなければ…とか思うのだ。以下、繰り返し。

 

今回またそうやって思ったのには理由というか、きっかけがある。今欲しいと思っているものがあるのだが、高くて買おうか諦めるか、どうしたものかと迷っている。こういうとき収支が把握できていれば、最近支出抑えられていたから思い切って買おう!とか、最近お金使いすぎだから諦めようとか、判断材料にできそうなのになあと思ったのだ。

 

そんなこんなで、まずGoogleに叩き込んだワードは『家計簿 続かない』である。

そうして出てきたサイトたちは口を揃えてこう書いていた。「続かない人はアプリを活用しましょう!」。それで、それを見ていた時に思った。アプリはアプリで、続かない要素がある。いや、もっとしっかりと表現するならば、アプリはアプリで、自分にとって続かない原因になる要素がある。

 

手書きでもアプリでも、まず自分(の性質)と家計簿の間柄を邪魔する要素は何か考えて、それを徹底的に排除した道を探らないと、何度でも同じ結末を辿ってしまう。さて、何がわたしと家計簿の仲を邪魔しているのか。

 

まず家計簿アプリは、カードや口座と連携すれば勝手に記録をしてくれるのが非常〜に便利だ。けれど、だからこそ見返さない。見返そうと思えば見返せるけども。あと、上にも書いた通り、複数のカードや口座を登録していると重複しているような気がして、落ち着かない。もしかしたらそんなことはないのかもしれないけれど、それを調べるのが………億劫。

 

あと、そういう機能がついているものはだいたい無料でも支出カテゴリーが細かく設定されていて、それでいて無料ではカテゴリーの編集ができなかったりする。カードの記録で大体どのカテゴリーか読み取ってくれるのだが、微妙なブレや、たまに弾き出される”未分類”が気になる。そこまでできるのならちゃんとキレイに分類して??と思ってしまう。いや、十分ものすごい機能なのだけれど。

このあたりが、自動で記録してくれる機能つきアプリの個人的”かゆいところ”だ。と、カッコよく書いたが、要するにわたしには使いこなせないということである。

 

けれどアプリに関して、いちばん自分に合っていないと感じるのは機能の方ではない。最初に書いた通り、そもそもアプリで記入しても、見返さないのだ。どれだけ使ったかを見返して把握するためにあるのに、肝心のそれをしようという気にならない。たぶん、記入したことで満足してしまうのだ。グラフも自動で出てるから、それを視認しただけで、なんとなく振り返った気になってしまう。

 

けれどそれって、意味がない。やっていてもやっていなくても同じだ。だから、自分が真に続けることを納得している状態になっていなかったのかもしれない。

残念なことに、そもそも家計簿をつけることに特別目的があるわけではない。節約はできたらいいけど、めちゃくちゃ困ってるわけでもない。というか、わたしは元々お金や数字と向き合う適性があまりないのだ。できれば考えたくないし。

 

この後わたしがどう考えるか、もうお分かりであろう。

そう、「結局、手書きなんじゃね?」である。

 

わたしの性質の話になるが、本当に”毎日コツコツ”が苦手なのである。そしてこれはもはやヘキの話になるが、自分が作ったもの、書いたもの、描いたものを、「見返したくなる出来」にまで持っていけた時、そしてそれを見返している時、もうとてつもない快楽物質が分泌される。目には見えないけれど、たぶん。

そして、”コツコツ”ができないわたしが、それでも今までに少しずつ記してきたものたちを見返す時の全能感たるや。ここだ。たぶんわたしは何事においてもこの「気持ちいい」を目標に、地図を描くべきなのだ。

 

紙の本もそうだが、ノートに手書きの良いところは、なんとなくパラパラできることだ。見返す率は断然高い。これは完全に好みの話である。最近、少しだけでもスマホやアプリから離れようとするアナログ回帰的な流れが来ている。わたしの中で。

だから、手書きの方が気軽に見返して、ほほ〜う……と楽しめそうなイメージがつきやすい。カテゴリー分け具合など、どのぐらいのゆるさでつけるかも自分で決められる。まあ、あとは実際に続くかどうかだけれど。

 

『家計簿を続けるコツ』みたいなものを検索すると、いかに手間をかけないか、面倒を排除するか、を書いたサイトが多い。けれど、それが続かない要因とは限らないかもしれない。自分の性質をふまえると、多少書き込む手間や時間がかかっても、見返したくなるもの、見返して楽しいもの、に近づけるべきなのかもしれない。

 

自分がどれくらいお金を使っているか知ることで、買い物への迷いの判断にしたい。いま、1万円を超えるものを買うときの不安とか罪悪感がもうすごいのだ。

お金というのは自分が持つ・使えるエネルギーのひとつだと思っている。自分がどれぐらいのお金を使っているのかがわからないということは、自分の持つエネルギーを見誤っているかもしれないということだ。だから、いざエネルギーを使うときに不安になる。

 

と、いうことでこれから自分を「気持ちいい」境地に連れて行くような家計簿を模索することとする。しばらく後に、『今度こそ、家計簿を〜リベンジ〜』を書いていたときは……お察しである。

お相手はおわびでした、また今度。